蕨遺産の探索

蕨遺産フィールドワーク(~第2回塚越・南町探索~)の実施について       (報告)

      笑楽日塾蕨遺産発掘グループ 幸野哲也記 

平成30年9月16日(日)午前9時半から午後1時半までの間、埼玉県蕨市のJR蕨駅東口をスタート地点として、笑楽日塾として蕨遺産発掘グループ企画による「蕨遺産フィールドワーク~第2回塚越・南町探索~」を実施しました。三連休の谷間、天気が心配されましたが、日も差す好天に恵まれ、本フィールドワークは無事終了いたしました。以下、記録として報告いたします。

参加は、荒井貞夫塾長のほか、新井(邦)、新井(斉)、荒川、小松、先崎、星、山田、幸野の塾生8名で計9名。JR京浜東北線の線路をまたいで、蕨駅東側の塚越、そして西側の南町に渡り、予定11ヶ所(時間の関係で実際訪れた現地は10ヶ所)を半日かけて巡りました。

現地フィールドワークの結果は次のとおりです:
① 蕨駅東口開設記念碑〔金網の中で、知らなければ素通りする場所に設置:解説は荒井塾長〕

② 幕末の剣士冨田長吉道場之地〔小さな石碑だけが残っており、これを敷地に設けた不動産会社は既になく、その正確な謂れは不明:解説は新井(斉)塾生;各方面いろいろ調査し、今回のフィールドワーク資料の中で最も詳細に記述〕

③ 塚越稲荷神社・機神社・定正寺・猿田彦大神碑〔塚越稲荷山定正寺観音堂→塚越稲荷神社→猿田彦大神碑→塚越機神社の順で参拝;同じ敷地に寺と神社がある典型的な「神仏習合」の形態だが、明治の廃仏毀釈により本堂はなくなり観音堂だけが残る。;隣の塚越稲荷神社は小高い山に鎮座するが、「ここが蕨市で最も標高が高い」と指摘したのは先崎さん。;猿田彦は、ニニギノミコトを天上界から地上界への道案内をした神として知られるが、のちに村の辻や境界に置かれる道祖神として祀られるようになったもので、庚申信仰につながるもの。;機神社は、徳川家康の夢の中のお告げで機業を始めた2代目高橋新五郎を祀る。横に御輿蔵があり、毎年3月最初の午の日に行われている初午祭に繰り出される。:解説は星塾生〕

④ 市民公園〔昭和56年に日本鋳鉄管工場跡地を市が買取り、最終的に平成5年5月、防災公園でもある蕨市民公園が完成、全面オープン。面積は33, 000 ㎡で、地下には100㌧の貯水槽が4基ある:解説は先崎塾生〕

⑤ 丁張稲荷社〔京都の伏見稲荷大社の本殿は神社建築と寺院建築の様式が混在しているが、この丁張稲荷社は一間社流造りの様式:解説は新井(斉)塾生〕

⑥ 剣神社〔民主的神社信仰の象徴たる「日本神宮」を立教主旨とするが、民家と一体となっている構造に特徴がある。境内はない。そのコンパクトさは、日本一面積が小さく人口稠密なコンパクト・シティー蕨市にふさわしい。:解説は幸野塾生〕

⑦ 大荒田交通公園と蒸気機関車〔交通公園は昭和44年12月に開設。同49年8月、同公園に「蕨市自転車安全学校」が開設。その敷地にSLのC11 304号車が置かれているが、その設置は同公園の設計時から計画されていたもの。昭和20年日本車輌製造。因みに、C11は昭和22年までに381両製造され、新橋駅西口広場のC11は292号車である由:解説は荒井塾長〕

⑧ 亥子角(いねずみ)堂〔JR京浜東北線の線路沿い、蕨市立第一中学校から西川口方面に緑川の橋を渡ると角にある。庚申塔と弘法大師の像が目をひく。:時間の関係で現地には行かず、先崎塾生の解説のみ〕

⑨ 三和稲荷神社〔現在の蕨市南町2丁目及び3丁目一帯はかつて「三和町(みつわちょう)」といわれ、その由来は昭和16年に遡る。当時の住宅営団によって、当時の蕨町穂保作、大荒田、戸田町下戸田字後の三地域にまたがって最終的に880超の住宅が建設されたことによる。この地は戸田ボートレース場の掘削土で埋め立てられたものだが、埋め立て前の水田地帯であった頃、その真ん中にお稲荷さまが鎮座。これが今の三和稲荷神社の縁起:解説は幸野塾生〕

⑩ 南町桜並木遊歩道・桜並木保存会〔この桜並木は旧三和町、今の南町2丁目と3丁目にまたがる用水路両側に、昭和31年有志が桜の若木250本を植樹したことに由来する。昭和45年3月に南町桜並木保存会が誕生。昭和46年には、用水路が改修、暗渠化され、遊歩道となった。:解説は幸野塾生〕

⑪ 河鍋暁斎記念美術館〔幕末から明治前半の江戸、東京で活躍した狩野派絵師・河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)の曾孫、河鍋楠美氏が昭和52年に自宅を改修し設立した美術館。下絵・画稿類を中心に3000点余を所蔵:解説は幸野塾生;ただし、同館で学芸員のガイド(事前に書面で申込済み)あり。〕

最後に、河鍋暁斎記念美術館から徒歩1分の好位置にある「そば処 満留賀」さんで、みなさんと食事兼反省会。暑くなったこともあり、ビールが誠にのど越しの良いひとときでした(もっとも、ビールを飲んだのは4人だけでしたが…。)。そして、「満留賀」さんの店先で集合記念写真を撮影、解散となりました。なお、今回は、専門ガイドの案内に頼るのではなく、塾生の担当が自ら調査し解説を書くなど、手作りのフィールドワークであり、自分ごととして大変勉強になったと思います。
(了)